参加意識消防法は、実情に即して効果をあげられるよう、年々改訂が重ねられています。 多数の人が出入りする職場、店舗では、定期的に防災訓練をすることが義務付けられ、職場での消火・避難誘導・救急救命訓練の機会もずいぶんと増えました。
中間管理職のKさんは、地元の消防署で各種講習を受けました。その実地訓練で違和感をおぼえたのは、参加意識に乏しい受講者が多いことでした。
こうした生命の存続に直結する講習の内容は、受講者がきちんと学んで、職場や店でいざと言うときの備えのために還元すべきものです。
しかし実情は「どなたか実際にしてみませんか」の呼びかけにも応じることなく、きわめて消極的。居眠りをする人も見られます。「自分のところだけは大丈夫」といわんばかりの、危機意識に欠ける姿勢です。
地震・事故・火災・・・。いつどこで直面するかはわかりません。そのときの自分の役割や動きを、どれだけの人がきちんと掌握しているのでしょうか。
助かる命も、人任せではたすかりません。訓練には真剣に臨みたいものです。
倫理法人会職場の教養より
- 2007/08/29(水) 15:32:29|
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83歳の大学院生玩具メーカーの「タカラ」の創業者として、子供たちに夢を与え続けてきた佐藤安太さんが、母校である山形大学の大学院に60年ぶりに復学しました。
佐藤さんは昭和30年、タカラの前身「佐藤ビニール工業所」を創業。「だっこちゃん」「人生ゲーム」「リカちゃん人形」などのヒット商品を生み出してきました。現在は、人材育成のNPO法人の理事長職を務めています。
「これまでの物つくりに加え、人づくりの学問体系もつくれば、最高の人生になる」と抱負を語る佐藤さん。「教授は私の子ども世代。同級生は私の孫ですよ。でも、体も脳も鍛えているから、あと3年は大丈夫。希望に燃えています」と意欲的です。
今年の入学生の中で、もちろん最高齢。学長からは「見習うべき偉大な先輩」と紹介されました。
年齢ははるかに高齢ですが、若さでは引けを取りません。その秘訣は目標や意欲といえます。私たちも、
目標や意欲を持って仕事に励んでいきましょう。
倫理法人会職場の教養より
- 2007/08/28(火) 16:54:01|
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立ち往生工務店を営むMさんは、車で工事現場に急いでいるときに、反対車線の交差点で立ち往生している車を発見しました。
時間に余裕がありませんでしたが、困っている人を見てしまった以上、手を貸さずにはいられません。すぐに車を安全なところに止めて、近くのガソリンスタンドまで押していきました。
これで一安心と、すぐに現場に向かおうとしたとき、相手の人はお礼にと商品券を差し出しました。Mさんは「そんなつもりでお手伝いしたのではありません」と丁寧に断ると、「それならば、せめて名刺だけでもいただけませんか」といいます。この申し出は快く受け、その場が収まりました。
しばらくして、その人からお礼の手紙が届きました。そして文末に、氏の会社で是非、自宅の勉強部屋をたててもらいたいと書かれていたのです。氏は喜んでこの仕事を引き受けました。
人を喜ばせれば、喜びとして返ってくるのです。
- 2007/08/27(月) 20:25:55|
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井戸を掘るなら明治時代の農村指導者で、「農聖」とよばれる、石川理紀之助は、多くの名言を残しています。その一つが、「井戸を彫るなら、水が湧くまで掘れ」です。
彼は秋田県の中堅地主の三男として生まれました。21歳のとき、同じ秋田県の石川家の婿養子に入り、勤勉、節約に努めて家を建て直すと共に、生涯を貧しい農民の救済のために捧げました。
理紀之助が、村民を貧しさから開放する為に一貫して取り続けた方法は、人々に働きを奨励し、毎朝3時の起床を促すことでした。
物事は始めたら止めない、終始一貫やり続けることが成功の秘訣です。このことは誰もが分かっていることですが、ともすれば人は続けることの難しさに出逢うと、目指す目標を見失ってしまい、挫折してしまうことが多いものです。
井戸から湧き出る水は、目指す目標と言いえます。物事に取り組むとき、目標とする事柄を忘れずコツコツと実践してこそ、最後に成就するのです。 先人の姿勢に学び、目標を達成したいものです。
- 2007/08/27(月) 07:58:44|
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支えられていることに感謝しましょう 「やっと打つことができた。ありがとうございました」と、ハニカミながらも喜びを語るのは、今年5月、プロ35人目の通算2000本安打を達成したミスターファイターズ・田中幸雄選手です。 日本ハムファイターズ一筋でプレーした田中選手には、球団から1000万円の祝い金が贈られました。 ケガと闘いながらの苦節22年。中でも「出番の減った3,4年くらい前がつらかった」と田中選手は振り返ります。若手重視のヒルマン監督の就任で、出番が激減したのです。 2年前には「もう潮時かな」と親しい仲間に打ち明けました。すると同僚たちが、ヒルマン監督に「田中さんの2000本安打は僕らの願い」と直談判。監督も「やり方が違う外国人が来て、彼に負担をかけてしまっつた」と非常采配を改めました。 成功の陰には多くの支えがあることを、再認識させてくれた大記録です。
- 2007/08/25(土) 18:05:12|
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